リフォーム母さんの鯖江高校時代の部活はソフトボール部でした。
打順は 「一番」 守りは 「サード」。
初めは先生から、キャッチャーと言われ・・・、
どうしても、内野がやりたかったので、
相棒のピッチャーM・Mさんには大変申し訳ないと思いつつ、
やりたいポジションに変更して頂いた。
肩が強い訳でないからセカンドくらいしか出来ないだろうと・・・。
だから、サードをさせてもらえると決定した時、本当にうれしかった!!
ソフトボールのサードはバント処理が多く、
自分で志願したからには!と言う思いもあり
一人残って壁にぶつけたボールを
ダッシュして取りに行く基礎練習は、自ら取り汲んだ。
それから、早く走ることが出来ない私は、一番打者らしくなかったが・・・、
カットは、得意だったので、フォアボールを選んで、
塁に出る確率を高くし、粘りの打者に徹した!
あの頃のリフォーム母さんは真っ黒で、
部活の後の「チューチュー」が何よりの楽しみだった(笑)
当時、ソフトボールと言う競技はメジャーではなかったが、
時の流れの中で、想像しない場面をテレビの画面から見ることが!
北京五輪で金メダルを獲得した女子ソフトボール
・・・2008年の夏は、熱かった!!
そして、実家のお母さん、ソフトボール部の私を大事にしてくれて
ありがとう!本当は、男みたいな競技で、嫌だったでしょう・・・。
やらせてもらえただけで、充分うれしかったです!